愛媛県大洲市 HONKI PROJECT について
November 13, 2015昨年の仕事ですが、ようやく大洲市のWEBに掲載されたこともあり、Facebookの投稿をちょっとだけ文章を変えてこちらにのっけときます。
撮影期間9ヶ月に及んだ「音頭ムービー」。のべにして約1100人の大洲市民のみなさんを撮影したとのこと。
人口約47,000人の市ですから、だいたい50人に1人は撮ったことになります。いやー怒涛のような日々でした。
市長さんから幼稚園児から役場職員から婦人会から障害者の方々、漁師さんから椎茸農家、消防署員、火縄銃隊、中学生や高校生、はては日清カップヌードルのSAMURAI/徳田君までほんとうに多くの方を撮りまくりました。場所としても、市役所から大洲城、消防署、臥龍山荘、石出寺、龍馬脱藩の道、ダムに沈む集落、山の先にある棚田、滝、肱川あらしや柳沢からの雲海…等とともに四季の季節をカメラに収められました。
そもそもこの映像企画はどういう目的で産まれたかをざっと書きます。
2015年1月で大洲市が合併して10周年を迎えたのですが、その合併で併呑された(以下全て旧)肱川町、長浜町、河辺村と、大洲市でそれぞれ別の音頭があるのでした。都はるみや三橋美智也等の大物が歌っていたりと実はそれぞれ本気なのですが、その踊り自体もそうであるし、そもそもの風物や人々が、「大洲」というまとまりになったとたん、やはりどうしても中央の旧大洲市のエリアだけにスポットがあたってしまう。そして、やがては忘れさられていってしまうかもしれない。
「参さんには頼まないんだけどこんなのやりたい」という話で、はじめは僕がやるはずではなかったので、他人事として「絶対やるべきだ」とおもっていました。それが2014年の3月になって急遽自分がやることになり、『産土』というよーな映画をやっているような自分としては、「おもしろそうだな」と思ってしまい、いつのまにか産土そっちのけで、こういう通年の企画となりました。
そしてその全体を括るような言葉として、肱川のH、大洲のO、長浜のN、河辺のKに愛Iをという、「HONKIプロジェクト」という名前を命名させてもらいました。
やってみて、まず実感としてあるのが、大洲というのはほんとうに大きなマチだなあと。山の奥から海の先まで、大洲市民であっても普段行かないような方々へ、大洲市役場の樽井さんに連れ回されて参ったのですが、本当にやってよかったなあと思います。
上記すべては、自分一人でやったわけではけっしてなく、Sa-Rahの帽子さん、役場の樽井さんをはじめNEW TOKYOの美容師中岡さん、ロケット団・祖母井さん、酒乃さわだの澤田さん、ハリカの松井さん、しぐれの老舗・ひらのやの平井さん、大洲城の田苗さんら、様々な方々の無私のご協力で成立しました。
映像を職能とするものとして、「誰のための仕事をするか」ということを考えさせられ、かつその幸せに少しだけでも浸れた日々でした。