三番叟(さんばそう)の撮影

22時で断水するので急いで風呂に入った後の時間、今日撮った動画の素材をHDDに流し込んでいる。本日のファイルサイズは78GB。インタビューとインサートのみなので、データ量が3~4倍になりそうな高画質モード、すなわちXAVC-I(イントラ)モードで撮ったのだが、結局はいつもの量になってしまった。

13:30に勝浦町の道の駅/よってね市で待ち合わせだったのが、神山から勝浦方面へと抜ける道が工事中なのをすっかり忘れていた。55線まで迂回したためかなり遅刻してしまった。

ここ数日書くことに喜びを覚えだしたようだ。それが自分でも意外に感じる。こんなことは数年なかった。道や水道の工事が年末調整として連打されるように、映像も年末は大忙しとなるのだが、こうして日誌をせっせと書くだけの体力は残っているようだ。

久国地区の多目的研修集会施設という場所で人形による三番叟の練習風景を撮る。ここ勝浦の人形浄瑠璃のグループである「勝浦座」。勝浦の住民の20名程度が参加しているらしいが、三番叟を演じるのは、ここ久国(ひさくに)地区の人々だけだという。戦中に火事に遭い、記録が消失してしまったが、少なくとも200年は続いているのだという。演じるのは、毎年2月と9月。そして前回取材した10月4日の大宮八幡神社での秋祭りにてである。ちょっと前回の映像のカットを貼ってみる。

練習風景を撮り、インタビュー。意外なことに、話を聞いた三番叟の演じ手の3人の方々が実際やり始めてから6年程度ということ、また後継者がいないということなどを聞いた。三番叟というもの、実に奥が深い。これまで余り意識してこなかった己の不明を恥じる。仕事としてもらうものも、繋がってくるものである。

一番、二番、三番で数えらえれる人形/演者がいる。一番は千歳(せんざい)と呼ばれ、本来は若者が演じる。二番目は翁、メインの存在である。そして三番目が三番叟。「叟」は爺さんという意味のようだ。それが土地の神様だという。三番叟だけ足があり、演者である人形使いは「えしとっと」と言いながら五穀豊穣を祈願して大地を踏みしめるのだという。2月と9月は、村の守護神的存在の地鎮塔の前で演じる。おお、産土と関係してきた。次の2月は個人でも行こうと思う。が、それらは終わった後の雑談で聞いたもの、肝心のインタビューはというと、一様に口が重い。質問の一に対して、答えが一である。なんというか「ヨソユキの言葉」を持っていないような印象を受けた。

その集団内の人間関係を理解しようと努め、その人の過去や仕事や属性に、言うなれば「憑依」していかなければ、会話というものが成立しないような感覚がある。それにはそれで独特の魅力と、説得力とがある。が、「後継者」という名称の若者はいないし、そういう属性もない。結果的にそうなるか、ならないかのどちらかである。ウチだけではない、「ヨソユキの言葉」が要る。そう感じた。

なにも過剰にフィクション化したり、キャラクターを作ったり、必死に喧伝したらいいと言いたいわけではない。でも、なんとかならないかというもどかしさが溢れ出してきた。難しいのは、この三番叟はそもそも神事で女人不可、そして久国地区の人以外は不可というヘビーな禁忌があるということである。僕は今後に向けては禁忌を解いたり、いろいろなものをアレンジしていっていいように思っている人間だ。産土という映画を作っていく過程で、遵守だけではだめだと考えるようになってきた。そもそも人形浄瑠璃自体、変わっていくところもあるべきだと思っている。今のままでは橋下のような人間に足蹴にされて終わってしまう。三番叟で大事なのは祈るということだ。産土の神に、祈るということだ。

三番叟は「チリヤ タラリロウ タラリアガリ タラリタア」とイミフな言葉を歌う。

神様語なのかもしれない。その言葉には独特の強靭さを感じる。それを内向きの言葉のみで語ると、「意味がわからない」で終わる。が、そこにはそれだけではないものがある。それだけではないから、続いてきたのだとも思う。保護を受けたり、権威付けされたりすると、そのヨソユキが過剰になり過信に変わる。僕はその過信には付き合おうとは思わない。僕は小さな話を作りたいのだ。

いずれどこかに書こうと思っているが、一言で言えば、物語とは「なにかの問題が解決すること」だ。結局それだけだ。僕が映像屋としてクライアントから依頼されて、作るべきなのは、それだけなのである。無論、問題といいつつ多岐に渡り、解決といいつつ膨大な可能性がある。WEBの映像では、すべてを語り切らないほうがいい。(いや、すべてを語り切るなんて本来不可能だ)それを原則に据えたとして、どこまでそれに忠実になれるか。そんなことでこれから編集で悶々とするんだろう。

16:00ぐらいにその施設を辞し、30分くらい市内の方へ戻って、今でも浄瑠璃の人形を作っている甘利さんという方のご自宅へ。人形の顔を丁寧に削っていく様を撮る。サニー千葉に似てかなり味のある甘利さんが、「僕ら作り手は、人形を産むまでが仕事。育てるのは人形使いの仕事」と呟かれたのが印象に残った。

続く。

Using Format