「これは映像ですか?」~ 杉浦夫案件について-2

(ちょっとした映像作家のレシピとしても読めるもの)


付き合っていたミュージシャンの彼女の、ちょっとしたPVのようなものを、むかし作ったことがある。

それは神山へと赴く2~3年前で、まだ「フリーランス」と言うか言わないかぐらいの中途半端な段階。映像を作ることは二十歳前後に学校に入ってやっていたのだけれど随分と長い間やめていて、この直前にちょっとづつ再開しだしたに過ぎなかった。その彼女が持っていた大型の業務用ビデオカメラを借りて、即興的に半日もかからず撮り、モノクロにして繋いだ。なんというかイケてると思ったのだ。できた瞬間、傑作ができたと自画自賛し、周辺の人は喜んでくれた。

だが後日彼女がそれを知り合いのプロフェッショナルのディレクターだかカメラマンだかに見せた感想を聴いた。それは要約すると、「映像というものは、手間暇をかけ、頭を使い、厳格に作られるものであって、あなたが作ったものは、映像ですらない。」というものだった。一言一句そうだったかはさだかじゃないが、そのようなメッセージとして受け取ったのである。鼻高々だったおのれの天狗の鼻が折られた瞬間だった、と言うより、ずっとその内容が解せなかった。その人はなぜこれを認めないのかと。(そういえばかつて行っていた映画学校の講師たちも、映画というものは「全知全能のすべてを投入して作るものだ」と言っていたっけ。)

たしかに写真的スナップショットとしての一度しかない瞬間の記録としては、今はまったく覚えていないけども、そこそこのものが当時の画質で撮れていたと思う。天井から吊ったライトひとつの灯りでそれは撮影され、「低予算で少人数だったら、まあよくやったんじゃね?これぐらいじゃね?」というインディーズ制作物に必ずといっていい用いられるエクスキューズならば、それはそれで済んでしまう話だった。「だって、金も人手もないもん」と。

だが今にして思えばすべてのカットや編集のつなぎには意図があり、意図がないものはカットでもつなぎでもないというようなことを彼は言いたかったのだ。(そして「これぐらいじゃね?」というものを本来おまえは作りたかったのか、そんなもの作る意味あるのか?とも)ロケ場所の選定やしつらえ、一々の色味や音へのこだわり。そのすべてが安易に「よーい、はい!」と誰もが手軽なビデオ(当時はiPhoneもなかったけど)やら何やらで記録し、パソコンでつないだものとは確実に違うのだと。(嬉しいかな悲しいかな今の時代はオート機能やテンプレートがむちゃくちゃ進化し、デジタルフォントも音楽もそれなりに使え、誰でもそれなりの「もの」を即座に「作品」としてアップロードし拡散できる。皆が手法を公開し、同質のものが趣味的に量産されていく。だがそれは「作品」なのか。)

これはサッカーでロジックで説明できないパスはパスではないみたいことを中田英寿がかつて言っていたことに似ていると思う。ただ即興的に何かに感応するだけではダメなのだ(無論、感応できないというのは、それはサッカーにおいては走れないというのと一緒の最低条件で、それができない人はカメラマンにそもそもなれないはずだが)。

「感応」というものには、現場で起こる出来事や被写体の動作のすべてに対して、車の教習所で言われるように、認知して、即座にそれに反射し、かつ冷静に撮影という動作を断行するという点と、被写体自体と情報的/情動的シンクロするという点があると思う。時として被写体に無理を強いても、欲しい絵のために撮影を断行したり、あえて現場に介入したりする度胸やエゴも求めらえる。(またそれを後で炎上しないようにする話術や素直さをも)

「情報的」にというのは、被写体の趣味嗜好についていけたり、仕事や場所や業界などについての一定の前提となる情報ストックを持つということや、彼らの方言についていけるかということまでも含む。その現場で起きていることを明確に、客観的に情報としてとらえるということでもある。ドキュメンタリー的仕事において、あらゆることは一回しか起きなかったりするので、それを確実に情報化し、撮影できるかというのは実はかなり特殊な技能であるし、運もかなり関わってくる。有名な電波少年のプロデューサーの土屋さんは、「映像の神様に愛されてるかどうか」とこれを表現していた。個人的にはこの運を引き出すのは、可能な限りの客観性を持ち、情報化できるかどうかだと考える。

情動的というのはまず基本的に被写体とコミュニケーションできるかどうかということ、そして彼らの状況に心理的に共感できるということや、それを撮っていることで(たとえそれが何らかの風景だけであるとしても)こちらのエモーションが刺激されているということに気づくかどうか(つまりこの二つのベクトルはドイツ語で言うところのアインシュテルング)も含むし、彼らの意見や個性(たとえ大幅な事実誤認や極端な偏向思想があったとしても)を傾聴者として認め、こちらの先入観や思い込みでそれを拒否せずに受容できるかという多様性への理解力までをも含む(適した言葉がないのでそう呼んでみたが、これは本来のこの言葉の意味とは違うかもしれない)。

ということで、「感応」することは、一長一短では絶対に無理で、経験を積んでいくしかないし、この点を怠った人の作ったものは、ロボットが作ったみたいなものになるか、まったく児戯に等しいようななんの知性も感じられないようなものになるので、ぽかーんとしてていいなんてことはまったくない。端的に言えば、「死ぬまで勉強」ということになる。

昨今日本でも現れてきたシネマトグラファーたる存在は、それらに加えて日々圧倒的に更新されるギミックに不可避的に対応しつつ、新しい機材なんかもそろえてそれらを習得しつつ(それらの使用方法や説明は圧倒的に海外の方があるので必然的に英語での理解が求められるし)、一人だけの経営者として、或いはグループマネージャーとして、少々のケレンミと、サッカーでいうマリーシア(ずるがしこさ)を持ちながら、経済活動を堂々と行い、悪びれず強かに生きていくという「社会性」が求められる。

これらあらゆることを諦めたり、安直に人に委ねたりするとまったくどこかの部分が成長せず、ディフェンスができない宇佐見みたいになってしまって、結局、競争から脱落することになってしまうと思う。(地方生まれでそこでクリエイターになった者/東京で通用せず地方に移住したクリエイターの最大の欠点は、日本代表クラス、ワールドクラスという高いレベルの存在を知らず/あるいは意図的に気づかず、そこそこのアウトプットでも手強い強敵という対抗が不在なため、またクライアントがそもそも高いものを求めていないため、ほめられてしまうし、それで調子に乗ってしまう。目標や課題意識が持ちづらく、ガラパコスな知識や技術に終始するため、まったくもって本来必要とされるべきものに対する修練と、その結果としての成長が起きづらいことである。)

エディターとしては、何かと何かを繋ぐことで、別の何かという意味を発動するということをまず大前提として理解しないといけない。なにかはなんらかの象徴であって、その前後になにかを繋ぐと、ある一つの「意味」が作られてしまう。長い映像になればなるほど小説と同じく伏線を張ることや、それらを一気に絡ませて出来事を加速させなきゃいけない。無数の選択肢がある中の一つを探し出す作業である(これはシナリオライターも同じ作業だ)。絵描きがなんどもデッサンしたり、塗ってはゼロからやり直すみたいに、それらを吟味する批評性も必要になる。また繋ぐことで映像と音とが作り出す音のテンポやムードやリズムにも精神を研ぎ澄ませないといけない。撮影の際の「情動性」は、編集にも言えることで、何かと何かを繋ぐことで自分のエモーションが揺れるか/揺れないかということへの意識は、映像作りのもっとも大事なところだとも言える(映像とは、人の心を相手にする商売だから)。

言い出したらとまらなくなるが、テロップ一ついれるにせよ、コピーライター的言語の感性やそもそもの語彙力、そしてあらゆるフォントに対する知識や構成への完成といったデザイナー的要素も必要になってくる。カレコレも、そもそも絵心や色や光に対する理解や知識が必要となるし、台本を書くにも、こんな一行じゃ済ませられない無数の努力と思考の連続が必要だ。(無論これらを一人で完遂できるメッシやクリスティアーノ・ロナウドみたいな人はそうはいないので、チームでこれを分担していくというのも手ではある。ディズニーのアニメーションづくりみたいに合議性ですべてが決定されていく組織みたいな方向も考えられる。)

自分で書いておいて割と深いこと言っちゃったと思いつつ、とにかくディレクター/カメラマン(シネマトグラファー)とは、アスリートと学者とセールスマンと精神科医と演奏家と作家と技術バカとタレントを統合したような能力が求められるのだと思うし、そういうような職能であるのだ。(この辺り、この国にはギークな人のみが溢れかえっていて、今書いたような点がまったく看過されていると思う。何かを撮る/作るということに、なんら時代への批評性もクソもない、ただのテストフッテージばっかりだ)。

そして付け加えるならば、だれしもと同じものを作っていたらダメなのだ。自分にしかないものというものがなんなのか。クセなのか嗜好性なのか、身体的・才能的抜きん出たところからもたらされるものなのか、あるいは逆に恵まれていないからこそできる何かなのか、とにかく同じプリセットやプラグインの世界から抜け出さねば、それはその人をまったく必要としないペラペラの無機物と同じだ。(これを若いカメラマンに言ってもまったく理解されないのが苦々しいが、でもそれってかつての自分もそうだったってことだ)

とどめ的に書いてしまうのならば、それら全部を置いておいても、大事なのは結局「何をつくりたいのか」という一点につきる。そのことの冷酷なまでの絶対性である。すべての始まりとなる起点は、その強度/インテンシティ次第であるということだ。上記のこと全てを必修科目にし、それらの単位を満足に獲得したとしても得られないこと。またそもそもそれがなければ、そういう厳しい学習に耐えることなどできないだろうはずのものであるからだ。なんのために生まれてきて、何を作って死ぬのかという、究極の問いの中からしか、その解は生まれてこないに違いない。(だがこの点に関しては、芸術家の神秘みたいに気取って下手気に難解にするんじゃなく、時間をかければある程度誰でもロジカルに導き出せるものだとも思う)

映像にでてくる杉浦綾さんの話じゃないが、かつての二十歳そこそこの僕はこれらのことを処理できなくなり、逃げるようにして映像から離れたのだと思う。大学を中退してストックホルムをうろついて撮りだした写真も、駆け出しにしては結構うまかった。絵も描けたし歌もうまいと言われてきた。文才もある方だったし、多少の自信もあった。読書量も相当あった方だし、映画も死ぬほど見た。だが通用しなかった。さらにさらに上がいて、そもそも世の中のことなどなーんにもわかっちゃいなかった。幾多の老若男女それぞれの人生になんてなんら共感もなく、あるのはただ認められたいだけのアホみたいな「僕」であった(それで幾多のキャラクターを生み出し、そのキャラクターへ向けて役者に「演出」することがどうやってできるというんだ)。才気煥発だと自惚れて必死にだしたアイデアもほとんどのものは誰かがかつてやっていて、そしてやるならばそれを踏まえるかそこからさらに高みにのぼるしかない。だから逃げた。

営業マンをしたり、幾多のアルバイトをしたり、人生の悲喜こもごもを経験したり、シェアハウスみたいなものをやったり、様々な人に弟子入りをしてみたりしたことが、結果的には僕には一番の、映像作りへの近道になったのだと今は思っている。商業的に成功する/しないというのは結果論であって、それよりも個人的な目標点にどれほど近づいたかということだと思う。またそれができれば、偶然性のみで語られる商業的成功などもついてくるものだとも思う。

時代は加速度的に進み、否応なくそれへの対応を要求する。僕は愚直になろうと思った。人が空を飛び、安く便利になったジンバルでギュイーンギュイーン自在に動くならば、あえて不動となり、地を這うのだと(なんかどこかの舞踏家みたいだけど)。そして個人的な性向ともいっていい、自分がその場で感じた絵を撮るのだ。それだけだ。連続したフッテージが撮れないならば、カット割というものに向き合えばいい。人や物や影や光が、AからBに、BからCに動くという、映像というメディアが持っているそもそものアナログな魔法に。

デジタルとは「指を折る」ということを語源とし、何かを明確に数えられるということだ。だがアナログとは本来「類似」という意味だ。そのものではない、なにかの似姿でしかない。ゆえに魔法が飛び交う隙間がでてくる。Aのために使用した音は、その場で記録したA’ではないかもしれない。Aの次にやってくる映像はBでななく、Xかもしれない。なんでもありのなんでもござれだ。プリセットやAIにできないことをあえてやるのだ(無論彼らの力は多分に借りつつ)。人が思いもつかなかったものを作りたい。それは即興性や偶然性や一回生に身を委ねること。だがこの話題はここにはそぐわないのでいつか映画の話をする時に書きたい。

話を戻すことにする。今回新しく買った機材は重い。 ZacutoのGratical HDというビューファインダーと、FS7という僕が使っているカメラ専用のリグシステムである。前者は日本で買うと40万を超える。同時期に買うかどうか迷っていたA7R3というカメラと同じかそれ以上に高い。僕は逡巡の末、ビューファインダーの方を選んだ。

アメリカのBHphotoから買ったものの、それでも高い。日本のFS7ユーザーで使っている人はほとんどしらないものだったが、海外のDPはよく使用しているのをみかけるのでいつかは使いたいと思っていた。思い切った。で、使ってみる。たしかにいい。すぐに電池を食うので別の心配を多々しなければいけなくなったが、それでもフォーカシングの精度は明らかに変わる。正直そんなに差はない。だが、明らかに違う。音もそうだ。おそらく「視聴者」や「クライアント」のほとんどはその差異に気づかない。比べれば気づくかもしれないけれど、そんな時間を割く人はほとんどいない。

清水の舞台から飛び降りるほどの決心で作れるのは、「ほんのちょっとした違い」である。だがそのほんのちょっとへの思考こそが、僕のやらなければいけないことだし、僕に仕事をくれる人々への誠実さでもある。そしてそれはもう10年以上前に僕に辛辣なコメントをくれた、会ったこともない先達に対して、「今、これが映像だと思います」という個人的な返答でもあるのだ。

徳島に来たばっかりのころ、現場であまり悩まなかった。機材を取り出して、すぐにポンと撮影。その場で反応したものをスナップショット的に撮る。だが年もとったし、反応力も下がってもきた。それに上にかいた「感応」までできていたかどうか。『産土』も一作目は悩まなかったし、『神山アローン』も撮りだした時はまったくもって悩みはなかった。だが年々それは深まってきた。あらゆることを感じ、考えねばならない。これがそもそも作りたかったのか。これで商業的に成立するのか。これは誰かに喜ばれるのか。まだ未熟者ゆえ、明確な解はない。ただ悩むだけだ。

この数ヶ月間、かつて経験がないほどとても苦しかった。案件が嵩み、映画も作ったりして、極度にやることが重なった。また今まで意識に上ってこなかった苦手だったことにもたくさん出てきて、一々が吐き気を催すようなことだったし、不満や怒りを爆発させたり、鬱のようになんら手をつけられないようなことも多々あった。だが結局あきらめなかった。幾分それで何かは身についたはずだ。

だからやっていける。明日も何かを作ろうと思える。

これは映像であるのか?という答えを求め、それを探しに赴ける。

マイル



「これは映像ですか?」~ 杉浦夫婦案件について-1

厄介なもので何かを作ったら、すぐに飽きてしまう。

趣味嗜好というものが目まぐるしく変転してしまい、自分のことなのに時折あきれ返るばかりであるが、なってしまうものはしょうがない。

撮影スタイルやレンズの選択、フォーカスの深/浅にはじまり、撮影した素材の色味や明暗の塩梅やトーン、編集のリズムやテンポなど、ちょっと前の状態の原型をとどめないほど、それは変転する。「物語」というものに対するスタンスなども、かなり揺れ動く。

今回作った映像は、基本的に三脚据え置きで、二本の映像ともにパンがたった1回づつ。それとスロモがそれぞれ1回数秒だけ。静謐なといえば言える、古風な映像になったはずだ。今回新しいオプション的機材が増えて重量が増したため、自在に動き回れなくなったこともあるが、上述のような嗜好の変化によるものが大きいのだろう。(御察しのようにこれを書いた今の時点は、この時の好みとはまた変わってしまっているので、違うもの作ろうと思ってしまっている…。)

ただし撮ったものすべてが撮影者の脳内の産物というわけではなく、被写体やロケ場所が持つ熱量や質量や造形、癖などのキャラクター、そして撮影する目的や内容によって必然的にこちらの態度というものは決定づけられてくるので、そいういう二つのベクトルが入り混じったものとして映像は結像していくはずである。

その昔アンセル・アダムズが書いていたように、機材の大小というものによってこちらの知覚はかなり変化するということもある。重量が増した大型のビデオカメラで撮るのと、軽量小型のミラーレスカメラで手持ちやジンバル主体で撮るのとでは明らかに同じものでもアウトプットが変わってくる。自分という存在より、環境と機材が方法を規定するということはあるかもしれない。

今回の被写体は旧知の陶芸家と人形作家の夫婦。彼らを撮影するのは、これで2~3回目であるはずだ。以前は撮影場所(彼らの工房)と彼らの内面、そして自分とが中々シンクロできず、なぜか上っ面のみだけなぞったような気がしていた。同じ場で同時に写真を撮っていた著名な写真家の濱田英明さんが撮ったものを見て、「うわあ負けたなあ。これには気づかなかったなあ」との印象を持った。それは縦構図の写真であって、絶対映像には撮れない類の瞬間を収めた写真であった。我を張るわけではないけれど、逆に写真には絶対撮れない映像というものも確実にある。自分は写真はトーシロにしろ(写真学科に在籍はしていたにせよ)、それを撮ることは撮るのでその双方があることを知っているし(むしろそのギャップにずっと悩んできたということもあるのだし)、音も含めて映像でしか表現できない流れというものは確実にある。写真家脳になっている時は、映像に嫉妬すら覚えることすらあるし、その逆もある。ばいすばーさ。

ウンチクが長くなったが、この撮影は音も割とこだわった。これは今夏最大の仕事のために買った機材の予行練習もかねてであったが、カメラ側にいつものガンマイクではなく、 オーストラリアはRode社のVideostereomic Xというごついマイクを付けた。ヘッドフォンをつけた環境下では今までとの差異がすさまじく際立つ。今まで聴こえなかった音がそこに「ある」感じがする。

ずっとピンマイクというものがどことなく嫌いであったので随分と使ってこなかったが、インタビュー系の仕事が増えてきて、やはりいるよなーと諦めて買ったZoomのF1という録音機とレシーバーが一体になった小型の機材でインタビューは収録、これまでにないクリアな音になったと思う。(ちなみに産土の僕のナレーションはピンマイクで収録した)

色味は、ソニーの色味をArriの色味へと変えるLUT(色のプリセット)を見つけてそれをベースに作っていった。不思議なものでこのLUTを今編集して要る映画用のフッテージに使ってもバカみたいな感じになる。用途用途で全然変わるということなのだろう。だがこれにはドンピシャではまったと思う。広告とドキュメンタリー映画の中間みたいな質感、そしてどこまでもノイズの少ないクリーンで、無茶で突飛なカラコレをできるだけ排したものをイメージしていたが、かなりその通りになったのではないか。

ちょっと前までやっていた建築家のインタビューシリーズや、アイドルの甲子園応援映像もそれぞれLUTからなにから全部違っていて、後者の方はアイドルを可愛く見せるために初めて自作したどである。とにかく悩みまくるので、時間がどんどんかかる。限界と規定される日時までとにかく悩むのと試行錯誤を繰り返す。年々その傾向が強くなってきた。だが最初は、まったくといっていいほど悩むことはなく、パッと撮って、パッパと繋ぐみたいなことを正解だと思ってやってきたように思う。だが、脳裏にはあることがこびりついてた。

(つづく)


note : National Geographic と僕。

正直ここまでとはまったく想像していなかった。このリンク先の再生回数は、現時点で70万アクセスを超えている。意味がわからない事態になっている。。

経緯はこうだ。National Geographic(以下ナショジオ)のミニドキュメンタリーコーナーに、拙作「The Birthplace of Soy Sauce」の掲載の問い合わせがやってきた。この作品は湯浅町からの依頼で製作されたものだったが、公開後のプランがほぼないといっていい状態だった。流行りのインバウンド向けで英語ナレーションで作っているとはいえ、高いお金をかけてまったく見られないものを作ってもしょうがない。音楽を頼んだ Hybrid Leisurelandさんに何度も修正をかけたり、自分自身も様々な工夫をかなりの時間をかけて手塩にかけて作ったものを無碍にはしたくはなかった。

とはいえネットワークも何もない一カメラマンには限度がある。とりあえずVimeoのコレクション設定で、考えうる限りのグループに追加した。それが目に付いたのかどうかわからない。またラッキーなことに知り合いが Vimeo Staffに連絡してくれたりもした。Staff Picksにはならなかったが色々な展開が生まれた。

最初はSlateというウェブマガのライターからネタとして掲載したいとの依頼が来た。そしてサクラメント・フード・フェスティバルというものの担当者から映画祭で上映したいというメールも来た。色々なことがあるもんだなあと思っていた矢先、ナショジオから掲載依頼が来たのだ。無論断るべくもない。

そして載ったのだ。アドレスはこれ。http://video.nationalgeographic.com/video/short-film-showcase/a-750-year-old-secret-see-how-soy-sauce-is-made

ちょっと夢みたいな話だなあと人知れず興奮した。だがそれで終わりではなかった。

アメリカ人の知り合いから、Ridditのフロントページに載っている!との興奮したメールが来た。

僕は寡聞にして知らなかったが、世界でアクセス数が9位、アメリカでは4位のおばけサイトで、上位にランキングされたのだ。このスクショは42位のものだが、最初はもっと高かったと思われる。


ガイ・カワサキがシェアしてくれたり、いろんなウェブマガで掲載されだした。もう終わったかと思う頃にまた波がくる。一昨日からは今度はVimeoでイイネの連打が来ている。上にアップしたナショジオのYouTubeリンクには、中華系の人たちの「醤油の起源は俺らだ」という書き込みで炎上したりもしている。

それがきっかけかどうかはわからないが、スウェーデンの代理店からの仕事の話が来たり、アメリカのプロダクションから問い合わせがあった。

色々なことを思った。現在北米で空前絶後の日本食ブームが来ているという話も聞いた。一番重要なのは、コンテンツというのは英語で作らねば理解されないということ、皆が知っているがそれに対して少し深い洞察を与えれるものを作るべきということ、そしてそれは悲しいかな日本人ではなく、ショートドキュメンタリーが好きな欧米人向けに作るべきということもわかった。少しでも見てもらうための仕掛けを作らねば映像は無駄になる。いい教訓になった。

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