note : nowhere #4 A small festival

ずっと作り続けるのは途方もないことに思える。
けれど、親であることをやめることはないので、
子供の成長を撮るということもまた終わることはない。 

それをまとめるのはかなりの時間を要するけれど
後々のためにちょっとだけ頑張りつづける必要がある。
人はともすると何もかも忘れてしまう生き物であるから。 

青享と椿季が神山の保育園で阿波踊りを踊るのも
これで最後だと思うと、一々何に対しても微量の感傷がある。
先生たちや、小さい時から見てきたクラスメートたちの顔を
見ると、懐かしさでいっぱいになる。 


技術メモ: 

今回はCanon 70200 F4にSpeedboosterを付けて撮った。
無論MFになるので、AFの楽チンさに慣れてしまった身には
おそろしく難しい撮影に思えた。久々にやってみて長玉はやっぱり
頂けないなあと。35mmまでの広角で自分が動きながら撮りたいなあと。 前日の仕事での撮影設定のままSlog2になっていて変えないでいたのだが、やはりCine4で撮ったものの方がノイズ感が少ないように見える。Slog3の実験もまだやってないので、実験が要るが、安定感はCine4のがあるのか。

それと今回はスロモで不可避的に出るフリッカーを、Philop Bloom推奨の
フリッカー抹殺対策をやってみた。やり方はいたって簡単、素材を上レイヤーに
コピーして、1フレームだけずらして不透明度を50にするというもの。

動きが若干ぶれる感じになるので、僕は不透明度35にしてみた。 

ただ、動きの方が気持ち悪く感じるところは、あれてフリッカーを残してみた。この辺りは実験である。



note : nowhere #3 Transition

親たるものの宿痾なのか、盆時期は連日のイベントラッシュである。
4日間ぶっとおしで阿波踊りに昂じる徳島県民からすればかなりの甘ちゃんだが、
4日目の最終日のみ仕事で6年ぶりに阿波踊りを撮影した。
昨日の夜は保育園での子供の阿波踊りと下分地区の祭もあった。
それは次回作に回す予定。 


13日は神山の連がこの寄井の町を闊歩する日だ。
だがスケジュールが毎年と違うようだ。
あちらでやるらしいと、近所の婆さんたちとIT企業のサテライトオフィスの前に行く。 

いつものやすおか商店前に来た時間は遅く、毎年のように行っていた
そこにいる人々が入り混じって踊る時間を省いたようだ。
近隣の老人たちは踊るつもりだったと言っていたから、
幾分残念だったろう。

移住者であり、これから去る僕が言うのも変だが、 神山も変わったものだ。人が多くなり、昔の気配がなくなった。 だが僕はそのうらぶれた気配を愛していただけなのかもしれないのだと思った。 それは誰も求めてもいなかったもの、不可避的にそうなっただけのもの。 

子どもたちの服がいつしか入らなくなってしまうように、 とにかく時は誰にも平等に移ろいゆく。 


技術メモ: 

120Pは当然暗部は苦手であるが、それでもやってみることにした。 若干明るい50mmはノイズ等々含めてややマシなレベル。 FS7180Pでやってみようかという気をなんとか抑えてA6300のみで。 今回はツナギ素材として、はたまた物語的な要素を補足するものとして、 普通の24Pで撮ったカットを挿れてみた。 

あと特筆すべきが、AFが暗闇ではかなり不思議な挙動をする点。それとノイズリダクションが「標準」でもかなりきつく入るのが確認できたので、今後はオフにしようかと思う。


note : umie


年にひとつかふたつ、予算や期限を度外視してやってみたくなる仕事の話が来る。なぜそうなるかをふと考えると、依頼者や被写体の熱量に起因しているようだ。その熱にこちらも知らず動かされて、次第に他人事だったものが、自分事として抜き差しならない、やんごとないものとしてどどーんとのし掛かり、ずっと脳裏から離れなくなる。いや、よく考えると、年に数回しかそのようなことをする体力がないということかもしれぬ。

今回デザイナーの柳沢さんから彼の経営するumieと云う、高松にあるカフェの15周年を記念する映像を頼まれた。

いつものように軽く引き受けてしまったのだが、これが間違いだった。
なぜ間違いかというと、飲食店を経営していた両親を持つ者として、15年間一つの店を営むということの重みが、だいたい想像できるからである。客や店員たち、あらゆる天候や気象や太陽光線の中での様々な会話やドラマや喜悲劇に、思いを馳せられるからである。抱かれていた赤子はいつしか大きくなり、彼女や彼氏を連れてくるようになる。初デートをしていた二人は、いつしか親として店に現れる。

ある人は死に、ある人はどこかへ消え、ある人の噂を想定外に聞き及び、ある人とある人が知り合いだったことに驚いたりする。店という場は、様々な人々を呑み込んでそこに膨大な物語を作り続ける。

僕は、去年17年の歴史を閉じた千葉にあった両親の店の記録をなんら撮らなかった。撮らなかったというより、撮れなかったという方が正しい。店がなくなるということが、常連客や元店員たちにとって途方もなく悲しいものであり、そして当事者たちにとっても身の一部がもがれるようなことであったからだ。だからある意味僕は懺悔するように、これを作ったのかもしれない。

62歳である柳沢さんは、「棺桶に持っていく映像を」と笑いながら僕にリクエストした。ただでさえ時間の重みがある中で、さらに重味が増していく。そうか、これは彼の遺言のようなものか。そう考え作ったが、後日聞いてみると当人は「変なこと言わんでよ」とあっさりそれを否定する。ある時は終わりについて、ある時は未来について語る。

自分の死のことがまるでわからないように、場所がいつ終わるのかなど、わかるはずがない。店をどこまでつづけるのか。どんなふうに終わりを迎えるのか。それは客にとっては好奇の対象であるが、自分自身と店と場とがほとんど同化してしまっている当事者にとっては、自身の体調の好不調で機嫌がよくも悪くもなるように、場所自体もが生き物のように感じられ、そこにキャラクターが芽生え、
それに対する感情や態度を持ち合わせるようになる。場所は自分であり、自分は場所になる。

当事者たちだけでなく、客たちにもそれと同じようなことが起きる。だから店に終わりを作ることは絶望的なことに思えてくる。場所とその記憶は、誰のものでもなく、皆のものであり、終わることはありえない。

間違いだった、というのは上のような理由による。
そんなことが詰まった映像をおいそれと即座に作ることはできない。
限界まで、明確に提示されなかった締切の近辺まで寝かせることにした。

じっくり一日一滴水滴を瓶に採取するように、編集作業を進めようと思ったのだ。(思い返せばそんなことばかり僕はやっている)

だから夢のように、アッとういう間の出来事として通り過ぎた15年という時間を束の間偲び祝うにしても、夢のような時間はまた先へ先へとひたすら展開していく。ある時代の終わりを示すとともに、次にやってくる時代の萌芽でなくてはなるまい。その構成に苦心した。

新しい物語、新しい登場人物を次から次へと湧き出させる増幅し続ける一冊の本のように、場所と時間は続いていく。過去の出来事や人々たちの幻影も、そこに幽霊のようにとどまり続ける。たとえビル自体がすべてなくなったとしても、それはとどまるのだろう。

柳沢さんは自分について多くを語ることを好まない。

umieの記憶やその始まりについて、近い関係者をのぞいてはほとんど誰も知らなかったかもしれない。カウンターの向こうの世界、それが僕の興味の矛先だ。開店前や閉店後に何が起きているか。なぜこの店は生まれ、いかに続いてきたか。語りづらいことを語ってもらうことにした。時代はまた次のなにものかへと向かって進もうとしている。それが何かはよく分からないが。

関連ブログ記事:http://www.milenagaoka.net/nisshi/umie

創作/技術メモ

話を受けてまず思いついたのは、カウリスマキが故マッティ・ぺロンパーを起用して撮った何かのCMである。FIXの絵、動きのないどーんと撮ったいつものワンシーンのような絵。カフェかどこかだ。ペロンパーが入ってきて、カフェの一席に座っていた男と握手をし、グラスの酒を飲み干す…。それだけで終わっていたようなものだったと記憶している。撮影時には動きの極端に少ない絵を撮りたかったが、編集時には動きを出したくなっていた。こういうのは生理現象のような気分に近いため困るが、静と動が渾然一体となりつつやや静よりの絵となったはずである。


機材:Sony FS7 /Slog3

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